ほわいとあっぷる 【長編】鬼狼の物語 其の1 忍者ブログ

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【長編】鬼狼の物語 其の1

鬼狼の物語 ~demon wolf~


――昔々。とある鬼の物語。
この世に妖怪などという魑魅魍魎が存在していた世界。
鬼がこの世界にいた時のお話。

世界は遥か昔。神々の手によってそれぞれの世界が異空間に引き裂かれ、世界と世界の狭間に境界を張ったと伝えられていました。
ある所では科学の力が進歩しており、ある所では未知なる魔道の力が進歩しているような世界。それがどのような理由でこんな事になってしまったのかは、今のところ解明されていません。
鬼も、元は人が住んでいない違う異世界の者達であった。鬼は、人間という食料を嗅ぎつけて此処にやってきたのです。

人間は鬼を畏れ、鬼を殺す知恵を得ました。
鬼は美味なる人々を喰らう為に、人の命を狩る。
人の畏れはやがて憤怒に変わり、鬼を闇に葬る力を得ました。
彼らは、鬼をこの世から追放させるのです。

鬼はやがて霧の如く、人々の前から姿を消しました。
人のように知恵を持たぬ鬼は、このまま同胞が殺害されていくのを見たくなかったから。
人々は鬼を拒み、自分達の平和を勝ち取ったのでした。

そして、鬼が言い伝えの存在になった時代に……。
――一人の鬼が、この世界に帰って来ました。


それが今回のお話。


此処に、居なくなってしまった筈の一人の鬼がやってきました。
鬼は一人の少女を連れて旅を始めます。
時には畏れられ、時には讃えられて、二人は旅を始めました。
少女は鬼に聞きます。「何故、旅をしているの?」と。
すると鬼はこう答えたのです。「人々の笑顔を見たい。そして、ある一人の少女との約束だから」だと。

鬼はその夢を叶える為に、己と人の為に世界を旅していくのです。
『哀』の悲鳴に誘われて、人々の前に姿を見せる鬼。

その鬼の名は『鬼狼(きろう)』。



――さぁ物語の始まり、始まり。


『とある鬼と少女の会話』


「ねぇ。クロさん」

一人の少女が満天な星空の下で寝転がっている、真っ黒の着物を着た鬼に向かって呼びかけた。
「なんですか?」
寝転がっていたその鬼は、少女の呼びかけに答えた。彼女の方にごろりと身体を回転させて、彼女の方に振り向く。
「クロさんって……何で人々に嫌われていることがあるの?」
綺麗に透き通った声で、少女は鬼に質問をした。
それは少女が、一番不思議に思っていたこと。
お伽話によく、鬼は人を喰らう存在と言い伝えられていた。
しかし、その鬼はとても優しい鬼。こうして今、少女と一緒に長い月日を重ねながらも、旅を続けているのだ。
黒い着物を着た鬼は、とても優しい。何度も彼女を助けてくれた。
鬼の食材であろう人々までも助けようとする鬼。
だからこそ、少女は鬼に問う。
何故、鬼は人に嫌われることがある存在なのだろうと。
少女は、それが不思議で堪らなかった。
「うーん、そうですねぇ……」
鬼は自分の角を擦りながら、少女の質問の答えを模索し、口を開く。
「まぁ、それは人間と同じじゃないんでしょうか?」
「どういう意味?」
鬼は起き上がると、少女の方に視線を合わせる。
「人間が好きな人がいると同時に、嫌いな人間もいるでしょう? 我ら鬼も、それと同類なんだと思います」
「ふーん……」
「百パーセント好かれる人もいなければ、百パーセント嫌われる人もいません。我もそれと一緒なんです」
鬼は言い終えると、少女に向かって微笑んだ。
少女は、その笑顔が大好きだった。
その笑顔を一目見るだけで、まるで光を見つけたのかのように安心することができる。
だからこそ、少女は鬼が大好きだったのであった。
でも微笑むようなところでもない時でも、黒い着物を着た鬼はいつも笑っている。
とても楽しそうに笑っていた。
「クロさんって……いつも笑っているよね」
「ん? そうですかね?」
「うん。本当にいつでも笑っているよ」
「まぁ、幸せですからね。こうやって人と楽しく接することが出来るのは本当に幸せです」
「嫌われることもあるのに?」
「それでも、人は面白く、楽しい存在なんですよ」
鬼は微笑んだまま、少女に楽しく自分の想いを伝える。
――鬼にとって、人は感情豊かな存在。
人は感情の入れ代わりが激しく、一定ではない。
人は――自分自身の性格すらも変える可能性を持つ。
鬼のようにずっと陽気ではなく、感情を一定に保つことは出来ない生物。
「だからこそ、我は人の住むこの世界に戻ってきたのでしょうね。もう一度、人々の物語を見てみたかったからこそ……」
鬼狼は、星に向かって手を伸ばす。
どんなに頑張ったって、届かぬ存在。自分ではなりえない存在。
鬼である彼は、星になれないと同じように、人にはなれない。
だけれども、眺める事はできる。星を観察すると同じように、この鬼は人を観察したかったのだ。
「さて、我はそろそろ寝ますね。――おやすみ、風夢」
そう言うと、お構いなしに外で寝転がって寝る鬼。彼はいつでもどこでも、場所を気にせずに爆睡してしまう。
少女はそれを見て、クスリと楽しそうに目を細めた。
少女は……その鬼と一緒に旅をする者。
それは運命だったのか、偶然だったのか分からない。あの日、少女はこの鬼に命を救われ、こうして旅をしている。
少女は、人の敵であるはずの鬼を好きになり、一緒に旅を続けていた。一般的には異端者扱いされている。
だけど、それでも彼女はこの鬼と旅をすることを決意し、現在に至っていた。
――彼の笑顔が好きだから、ここが自分の居場所だと決めたから、彼と旅を続けている。
「――おやすみなさい。クロさん」
少女は既に寝てしまった鬼に向かって、そうポツリと呟いた。
自分達の馬車に、少女は入り込んで毛布を被る。

声が消失し、沈黙に包まれ――夜は静かに過ぎていく。


『笑顔と涙の鬼』


とある一つの村。

自然豊かな村で、いくつもの畑が地上を制している。
民家は、ぽつぽつと山脈のように連なって建てられており、この村の長い歴史を見せ付けるかのように、風化していた。
一部の地方では車と呼ばれる、車輪で接地し、陸上を移動する乗り物が存在する。しかしそのような機械はこの村には見当たらず、移動手段は徒歩しかなさそうな小さな村であった。
それはそれで不便そうであるが、自然の空気は清々しく綺麗である。
そんな自然豊かな村に……鬼が訪れた。

『哀』の悲鳴にぬらりくらりと誘われ、此処に至る。


空は気持ちいいほど雲が無く、快晴。
ぽかぽか陽気な太陽。この村に暖かな光が差し込んでいた。
村は幾人かの者が畑を耕している。太陽の光を浴びて、働く者達の汗は輝いて飛散していた。
子供達はボールを蹴り、ぴょこぴょこと兎のように走り回り、遊んでいる。

そんな村に馬車がやってきて、入り口付近で止まった。
馬車を引っ張っていた馬の背を上から誰かが撫でており、一頭の馬が高らかに鳴く。
「着いたぁ~」
その手の主が、馬車からぴょんと舞い降り、透き通った綺麗な声でそう呟いた。
馬車の中から現れたのは、小柄な少女。
肩まで可愛らしく伸びている翠髪のサイドテールに、泉のように潤った蒼い瞳。胸には小さなエメラルドネックレスが光を浴びて、翠色に輝いている。腰には六十センチほどの長さの刀らしき物を納めている鞘。青いワンピースとロングスカートを着こなしている少女は、身長が低く、まるで人形のような存在だった。
彼女の名は『風夢(ふうむ)』。もう一人の旅人と一緒に、この世界を旅する者。
風夢は両手を、天に向かって花が開花するように広げ、大きく背伸びをする。
飄々と風が流れていき、木々のように美しい翠髪が、ふわりと揺れた。
「じゃあ、クロさん。宿でも探しに行こ……」
風夢が馬車に首だけを振り向かせ、背後にいる者に向かって話しかけた。だが、その先にある光景を見て、彼女は途中で言葉を停止させる。

黒い着物に、ぼさぼさに伸びた黒い長髪。――そして、二本の角。
その者は人間ではなく、鬼の妖怪であった。
この者の名は、『鬼狼』。
風夢には、黒い着物を身を纏っているという事から『クロさん』と呼ばれていた。
忘却の彼方へと追いやられた鬼の末裔。畏れられる鬼が、そこに存在していた。
畏れられるはずなのだが――その鬼は今、大きな鼾を掻いて爆睡している。

「結局こうなるのかぁ……」
はぁ、と風夢は大きく溜息をついた。
鬼狼はそんな風夢を馬鹿にしているかのように、気持ちよさそうな顔をしている。
風夢が頭を抱えるのも無理はない。この鬼は、一度夢の世界に行ってしまうと、なかなかこちらの世界に戻ってこないのである。
ある時には馬車の操縦中に鬼狼は寝てしまい、崖から落ちそうになった事件もあった。
死に繋がる程の熟睡癖には、風夢もほとほとに困り果てている。
「クロさーん。起きて~。村に着いたよ~」
「ごぉー……ごぉー……」
「起きてよぉー」
「がぁー……ごぉー……」
風夢がゆさゆさと、自分よりも身体の大きい鬼狼を揺らし、目を覚まさせようとするが、起きる気配が一向に無い。
このまま放って置く訳にもいかず、かといって起きるまで待つわけにもいかなかった。
しかし、二人とはいえ鬼狼はこの旅のリーダー。風夢が勝手に行動するのもどうかと、彼女は悩んでいた。
最終的には風夢が色々決めるのだが、律儀な性格の彼女にはそのような真似はできない。
このままだと空が黒く染まり、星が瞬く時間になるまで鬼狼は眠り続けているだろう。
「仕方ない。やるかぁー……」
風夢は腰に差していた鞘から、刀を抜き出した。
光を浴びて銀色に輝く刀。その刀は砥がれた様子はなく、そのままでは斬るという刀本来の使い方が出来ないような品物であり、まるで破壊するのが目的であるかのような刀。
その刀を鬼狼の真上で、大きく振り上げ……。
「せぇ~のっ!」
目一杯、振り下ろした。

「「「うぐをあああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」」」

ガィィンと、鈍い音が辺りに響き渡った。
頭に振り下ろされた鋼の塊の衝撃で、鬼狼は夢の国から強制的に現実に引き戻される。
あまりにも衝撃が大きかったのか、身体をピクピクさせて悶え苦しんでいた。
「クロさんおはよう。目、覚めた?」
「うごぉぉぉ……風夢ぅぅぅぅ~っ。その起こし方勘弁してくださいよぉぉぉ……」
「だって、クロさん起きないんだもん」
「そうだとしても死にますよぉぉぉ、人間だったらこれぇぇぇ……」
鬼狼は頭を押さえ、ゴロゴロと馬車の中を転がり回っている。その様子に妖怪やら、鬼やらの印象は欠片ほどにも無かった。
だが、思いっきり頭に衝撃を受けても大怪我しないのは、やはり鬼の末裔だからであろう。
目覚めたのを確認すると、風夢は鞘に刀を静かに納める。鬼狼は、目覚めたばっかりの身体を無理やり起こし、一つ大きな欠伸をした。空を吸い込んでしまうかと思うような、大きな欠伸。
まだ寝ぼけているからか、ぼんやりと青に染まっている空を眺めていた。
ぼーっと、眺めた後。
「それじゃ。この先にある村まで頑張って行きましょうか!」
そんな筋違いなことを風夢に向かって、彼は満天の笑顔で言った。
「……もうその村に着いているんだけど」
「うぇ? 本当にですか? お酒とかもあります?」
「だからさぁ。何でこう、計画性の無い動きしようとするのかな……」
「我は鬼ですからねぇ。あっはっはっは!」
理由になっていない回答をされ、風夢はもう一度鬼狼の石頭めがけて鋼の塊を振り下ろそうと、鞘から刀を半分抜く。ギャキンと耳にこびりつくような刀と鞘が擦れ合う音が、鬼狼の耳に届いた。
「ちょ、ちょっと止めて下さい! 納めて! それを納めて下さい! 分かりました! ちゃんとしますから!」
「分かったならいいよ」
すっと、鞘に刀を納める風夢。それを見た鬼狼は、ほっと一息ついて安心する。
そんな二人の様子を他者が見たならば、どちらが鬼か困惑するだろう。
鬼も随分と苦労をする時代になっていたようだ。人間相手に頭も上がらなかったのである。
鬼狼は馬車を動かし、村の中をゆったりと散策。
その時、遊んでいた子供達が好奇心からか、吸い込まれるようにこちらに近寄ってくる。
目をキラキラとさせ、馬を触ったり、鬼狼をジロジロと嘗め回すように見ていた。
鬼に出会うのは初めてなのだろうか、鬼と言う存在を知らないのだろうか、子供達は畏れている様子はない。
風夢はその子供達に、今日泊まる宿屋を探していると相談すると、子供達は親切に答えてくれた。
その間、鬼狼は宿のことなどはどうでもいいと思っていた。ゆっくり寝たいやら、腹いっぱい肉が食べたいやら、宴をしたいやらを、彼は心の底で思っていたのである。

鬼狼は、我侭な性格の持ち主であった。

~@~

村の子供達が案内してくれた所は、ちんまりとした宿だった。それでもこの村の中では大きい建物だと言えよう。子供達の話によると二階建てらしいが、やはりそれでもこじんまりとした宿である。
「まぁ、こんな村に旅人が訪れるなんて、そうそうなさそうですしね」
そんな失礼な事を小声で鬼狼は呟いた。
子供達には聞こえなかったらしいが、風夢には聞こえたらしく、しーっと、人差し指を口に当てて、鬼狼に注意する。
分かりましたよと、合図を送るかの如く鬼狼はニッコリと目を細めて、風夢に返事をした。不安しか積もらないような笑顔である。
これまでの旅でも鬼の性格なのか、なんでもかんでも正直に答える鬼狼のせいでトラブルが多発していた。確かに鬼狼の発言は真実ばかりであるが……それでも自重して欲しいと風夢は思っている。酷い時には何を血迷ったのか、暴力団グループに喧嘩を売るような真似をする始末。結局その時は鬼狼が力ずくで事態を収めたのだが。

案内してくれた子供達に感謝の言葉を風夢が贈る。すると子供達は風夢に手を振って別れの挨拶を済ますと、再び外で遊ぶ為に陽の下に元気よく走って行き、陽炎のように消えていった。
「さて、クロさん。早速宿に……」
子供達から視線を外し、風夢は背後にいる鬼狼に向かって話しかけ、可愛らしい笑顔を向ける。
が、鬼狼の姿はそこにはなかった。既に宿の扉を開けて、のしのしと中に入っていく鬼狼がそこにおり、風夢は笑顔のまま凍ってしまう。
「――ちょっと待ってよぉー!」
置いてきぼりにされた風夢は、駆け足で鬼狼を追いかけるのであった。

~@~

宿の中に訪問した鬼狼は、辺りを見渡す。やはりこじんまりとした、小さな宿。
玄関に入ってすぐに、左右に広がる通路。その所々にある部屋のドアに部屋番号の札が掛けられていた。
そして中央に堂々とある大きな階段。ここから二階に行ける、唯一の階段のようだ。鬼狼が辺りを見渡しても、他の階段はなかった。
移動する分には手間がかからなそうな、狭い宿である。
「すみませーん! 我達二名、泊まりたいのですが、誰かいませんでしょうかー!」
鬼狼が宿のロビーで大声を出して、この宿の主を呼んだ。
すると、二階で作業をしていたらしく、ガタガタと物音が聞こえてきた。
「ちょっと、クロさん。先に行くなんて酷い……」
そこに遅れてきた風夢が宿に入ってきて、鬼狼に抗議をしてくる。
「ですが我、ちゃんと馬車も停めてきましたし、もう入ってもよいものかと」
「だけどさ~……」
鬼狼のマイペースっぷりに呆れて、言葉の途中で何と叱るか困り、発言を止める風夢。
彼女の様子はまるで、言うことを聞かない子供を相手にしている母のようであった。
そして、真ん中にある小さな階段から、足音が近づいてくる。木造の階段がギシギシと軋んだ音を鳴らし、建物が古い様子を語りかけてくるようだ。
「申し訳ございません。片づけをしてる最中でしたので、遅くなりましたお客様。なにせ、こんな所に泊まる方なんてほとんどいないものですか……」
階段から降りてきたのは丸眼鏡をかけた清潔感に溢れる青年。恐らくこの宿の主なのだろう、客として現れた鬼狼を見て笑顔のまま固まってしまった。
「こんにちは~。ここに泊まりたいのですが……」

「その角――そして黒髪に黒の着物。もしかしてあなた、鬼狼さんでしょうか?」

風夢の言葉を無視し、鬼狼に向かって宿主は問いかけた。
「汝、我を知っているのですか?」
「――えぇ、もちろんですとも」
「こんな所まで知られているとは……」
鬼狼は急に弱気になり、小さくそう呟いた。
風夢はその様子に気付いたのか、慌てて鬼狼の前に立って、宿主に向かって交渉し始める。
「あの、どのように噂を聞いているのかは知りませんが。もし不都合でしたら、私達物資補給して、この村から直ぐ立ち去ります。あなた達の方でも、都合の方があるでしょうし……」
不安そうに風夢が上目遣いで宿主を見つめた。風夢の後ろにいる鬼狼は、微笑んだままであったが、少し哀愁に浸っているような表情である。

――鬼は人を攫い、人を喰らうと言い伝えられている種族。

それを畏れて、宿主はここに泊めてはくれないのではないかと心配したのだ。
それどころか、この村に居ること自体がいけないのかもしれないと、二人は畏れていた。
しかし、その心配はすぐに消え去る。
宿主は鬼狼達をジロジロと見つめ、少し考え込んだようにしたが、やがてにこりと笑い歓喜を上げた。
「――いやいや、とんでもないですよ! ようこそ鬼狼さん! 私達の村に訪れて下さり、心から歓迎致します!」
宿主は両手を広げ、鬼狼達を歓迎しているようだ。
宿主の歓迎を聞くと同時に、鬼狼と風夢は顔を見合わせて、嬉しそうに微笑む。
どうやらこの村では、鬼狼の善行の噂が流れついていたのだろう。彼らは旅の途中、さまざまな人々を助けてきたのだ。その噂を聞き、鬼狼達を歓迎してくれる村や町は、少なからず存在する。
鬼狼と風夢は心底ほっとして、不安な感情は煙を吹き飛ばしたかのように消えてなくなっていた。どうやら無事、あの固い床の馬車の中ではなく、まともな床につけそうである。
もっとも鬼狼の方は、どこそこで就寝することは可能だから、関係無いのだろうが。
「私はこの宿主の『良一』と申します。どうぞごゆっくりしていって下さい」
宿主の良一は一礼し、爽やかなスマイルを二人に提供した。
風夢はお辞儀したが、鬼狼はニコニコしたまま良一を眺めている。
それを見た風夢は、鬼狼の頭をジャンプして右手で掴むと、そのまま無理やり彼の頭を下げさせた。
その後に風夢が、良一に宿代を確認する為に質問する。
「ここの宿代はいくらですか?」
「はい。一泊あたり千五百銀(――銀とは、この世界のお金の単位)となっております。ただし、食事はこちらの方では準備できませんが……」
「それでも結構安いですね?」
「なにせ、宿を利用する方は少なく、ほとんど自宅として使っているので、宿はおまけ程度なのですよね」
良一は頭を掻き、乾いた笑いをする。どうやら本当にこの村の宿を利用する人達が少ないようだ。
無理もない。山奥にある小さな村に来る旅人など、故郷を懐かしんで帰ってくる人達ぐらいだろう。
鬼狼達は、物好きでここに訪れてきたのだが、そんな旅人もこの二人ぐらいである。
「じゃあ、二泊でよろしく……」
「あーっ!」
風夢の発言は、急に階段の方から聞こえてきた幼い声で掻き消された。
風夢が階段の方に目を向けると、小さな女の子が活き活きとした瞳でこちらを見つめている。
女の子は口を大きく開け、笑みに満ちていた。
「お父さん! お客さん来たんだ!」
女の子は、良一に向かって活力のある声で言う。
元気に満ち溢れている子に良一は近づき、両手で包み込むようにして抱き上げた。女の子も良一もニコニコと微笑み合い、両者互いに見詰め合う。
「お父さん……ってことは」
「はい。私の娘の――」
「『優子(ゆうこ)』です。初めましてお客さん!」
自分で自己紹介して、無邪気な笑顔を見せる。五、六くらいの子にしては、随分と礼儀正しい挨拶が印象に残った。
風夢もその可愛らしい優子に釣られて、優しい笑顔を見せ、
「初めまして優子ちゃん。私は風夢。そしてあっちが鬼の鬼狼さん。私はクロさんって呼んでるけどね」
清らかな声で、こちらも自己紹介をした。
「鬼狼さんって、もしかしてお父さん!」
「あぁ、そうだよ」
良一はそれだけしか言わなかったが、意思疎通できたのか、優子は理解したようだ。
楽しそうに声を上げると、良一の腕の合間から上手くすり抜けて、地面に軽々と着地。そして、優子は鬼狼の近くに駆け足で近づき、ぐるぐると彼の周りを回り始める。
それを追いかけるように、鬼狼も一緒にぐるぐる回り始めた。
二人の奇妙な動きに、風夢と良一は苦笑いして、何ともいえない心境で見ていたが、当の本人達は楽しそうである。
「あはは! 鬼だー! 鬼が家にやってきたのですー!」
「あっはっはっはー! 鬼がやって参りましたよー!」
「きゃははっ、おもしろい鬼さんー!」
まるでメリーゴーランドのように回る二人。鬼狼の着物が花弁が舞うようにひらひらし、優子のスカートも花が咲くかのように、舞い踊っていた。
しばらくはそのまま遊んでいた二人。やがて回り疲れたのか、優子の動きが鈍り出した。
「こらこら優子。その辺にしときなさい」
「目ぐぁ回ったのですぅ~……」
疲れているだけでなく、目も回していた優子。コマの回転が鈍って倒れる寸前かのように、足元がふらついていた。
風夢が倒れないように、そっと抱きかかえてあげると、
「ありがとう、お姉ちゃんっ」
と、きゃっきゃと喜びながらお礼を言う。
風夢は天使のような微笑みを見せ、そっと優子の頭を撫でてあげた。気持ちよさそうに小さな首がゆさゆさと風鈴のように揺れ、綺麗な音でも鳴るのではないかと思えたりもする。
「すみません。私の娘が……」
「いや、私は大丈夫です。こういうの逆に好きですし」
「ありがとうございます。それでは部屋の方、案内しますね」
「あ、よろしくお願いします」
良一が階段に足を踏み入れ、鬼狼達もついてくるようにと丁寧な足取りで案内する。鬼狼が先に階段を上り、その後を風夢がついて行く。
優子は抱き抱えられたまま、風夢から離れようとしなかった。よっぽど風夢の腕の中が気に入ってしまったのか、優子は彼女に懐いてしまったようである。
この宿で二人は暫しの間、旅の疲れを癒す為に休養をとることになるのであった。

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