ほわいとあっぷる 【長編】瞳を見据えて その9 忍者ブログ

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【長編】瞳を見据えて その9

 そして土曜日。雲一つ無い青空が私の頭上に広がっている。今年は梅雨明けが早く、夏はすぐ傍までやってきているのを感じていた。日差しは強く、彩月の目に支障がでて出かけることができないのではないかと心配していたが、待ち合わせのバス停に彼女の送迎車がやってきたところで、私はほっと一息ついたのだった。運転手はいつも通り手際よく後部席のドアを開け、彼女に日傘をさしだす。
「ありがとう」
「いえいえ、それではお気をつけて」
 彩月へ日傘を渡すと、運転手は私に丁寧なお辞儀をされたので、私もそれに習ってお辞儀を返した。運転手はにっこりと笑うと、そのまま車に乗ってどこかへ去っていった。彩月はいつものように送迎車が見えなくなるまでにぶんぶんと大きく手を振ると、私の傍まで小走りで駆け寄ってきた。
「御免。待った?」
「んーん。さっき到着したところだよ」
「そっか。それじゃあ、行こっか」
 そういって彼女はニコニコしながら私の前を歩き始めた。彩月は無地のTシャツに白いスカートと、派手すぎない服装だった。それでも、スタイルがよいせいなのかそれとも顔立ちがよいせいなのか、随分と私とは差がある気がする。私は少し自分の体型にコンプレックスを感じながら、彩月の横に並ぶように歩き出した。途中、日傘の中に入らないかと私に気を使ってきたが、うっかり何かあって目を痛めてしまっては困るので、流石に断っておいた。
 私たちはショッピングモールへ辿り付くと、服やら雑貨類を特に計画もなく適当に見て回った。普段は一人で見て回るため見慣れたはずの店も多くあったのだが、いつもとは違う新鮮な気分に満ちていた。それからは二人で人の流れに流されるまま、店を巡り回っていた。何時も見て回る服屋を紹介したり、彼女から似合う服装をセレクトしてもらったり、学校で使う文具を見に行ったり、高いネックレスやイヤリングを見て回りひやかし客になったりと、気になるものが視界に写るとそれに吸い寄せられて、二人で語り合う。
 そうして、あっと言う間に時間は過ぎていった。二時間ほど経ったところで互いに一通り買い物を済ましたのを境に、休憩しようと私は彩月に提案する。彩月も同じことを思っていたので、よく私が勉強の時にお世話になっていた珈琲店へ向かった。
「ここの店、初めてきた」
 物珍しそうにまじまじとメニューを眺めながら、彩月は呟いた。
「この珈琲なに? 黒糖入ってるの?」
「そうだよ。……もしかして、あんまり珈琲飲まない?」
「たまにしか飲まないかなあ」
「そうなんだ。苦手だったら、他の店にするよ?」
「いや、ここで大丈夫。苦すぎなければ飲めるから。何かおすすめってある?」
 そうだなあ、と私は呟いて急いでメニューを左から右へと見回す。店員がニコニコとオーダーを待っているのが怖い。お待たせして申し訳ないと心の中で謝る。
「じゃあ、これとかがいいんじゃないかな。キャラメルが入っているし、飲みやすいと思う」
 私が指で指定のメニューを示すと、顔を近寄らせて商品の画像をじっと眺めだす。
「ほうほう。珈琲にキャラメルを入れるんだ」
「そうそう」
「じゃあ店員さん、これのケーキセットでお願いします」
 かしこまりましたと店員が素早くレジをすませ、珈琲を注ぎ始めた。その間、私は店内を見回る彩月をずっと眺め、まるで子供みたいと少し笑っていた。
「そりゃそうだよ。私、あんまり外に出ないんだもん」
 注文の品が届き、席に座ったところでそのことを伝えると、セットでついてきたチーズケーキを貪りながら、彩月は強い口調でそう言った。子供っぽいと本人に言ったら少し気に障ったみたいだ。
「この珈琲、あまっ」
「やっぱりそれあまいよねえ」
 甘い珈琲にケーキは合わなそうだ。でも、彩月は甘いのが好きなのか、気にせず食べ進めていた。
「理沙ちゃんはいつもここに来てるの?」
「たまに、ね。本を買いに来た帰りに飲みたくなることがあるんだよね」
「ふーん。本よく読んでるよね。家でもずっと本読んでるの?」
「大体は本を読んでいるけど、たまに……えーっと、そう。父さんから借りてゲームやることもある」
「お父さんから借りるの?」
「職業柄なのか、父さん好きなんだよね。ゲーム。ファンタジー作品が好きだから、よくお勧めしてもらっているの」
「ファンタジーか……普段の理沙ちゃん見てると、あんまりそうは思わなかった。どちらかというとミステリーとか、そんなイメージ」
「そうかな」
「うん。そしてね、話が進むよりも先に犯人を推理して読み進めてそうな、そういう感じ」
 それはそれで面白そうだけど、頭が疲れそうな読み方だな。
「あ、でも、確かに言われてみるとファンタジー好きそうだね。どことなく、現実離れしている感じが」
「現実離れ?」
「たまに理沙ちゃん、ぼーっとしてることがあるんだもん。私に勉強を教える時とか、すっごい頼りになるんだけど、一人になった瞬間に別のことを考えているというか、違う世界を見ているみたいな。……この前、上履きに履き替えずに階段を上がっていくところを見た時にはびっくりしたよ」
「……あれ、見られてたのか」
「思っていたより、気が抜けたところがあるんだなぁって、少し安心しちゃった」
「そこ、安心するところ?」
「そりゃもう」
 ふふふ、と含み笑いしながら頬杖をしながら話す彼女に振り回されつつ、内心は穏やかな気分だった。互いの会話に遠慮とかなく、対等な立場で私との会話を保ってくれていた。愚痴とか嫌味とかそんなものはなくて、ゆったりと好きなことを話せていたような気がする。少なくとも私はそう思っていた。
 ただ、一点。流石にあの眼のことについては、私の口から話すのは遠慮していた。やはり場の空気を壊したくないこともあり、機嫌を損ねるようなことをするのは嫌だったのだ。
「理沙ちゃんってさ」
「うん」
「私の眼のこと、一度も詳しく聞こうとしないんだね」
 だから、彼女の口からその話が出てきた時は思わず動揺してしまい顔が石みたいに固まっていた。珈琲カップに手を添えたまま、視線を逸らすようにカップの中で波打つ珈琲を眺める。
「やっぱり気を使ってくれているんだ」
「そりゃね。あんまり聞かれたくないことなんでしょ?」
「その通り」
 彩月は赤い眼がばれた日のように怯えることはなく、薄く微笑んでみせた。
「私さ。中学の頃はずっと治療に専念していたんだ。失明しそうになって、視力回復してからもしばらくは安静にしていたの。たびたび悪くなるものだから、あまり学校にいかなくなっちゃってね。遊ぶ友達なんていなかったの。だから、高校になってからは思い切り人と触れ合いたいと思ったんだ。もちろんこっちから接するのは凄く怖かったんだけど、それ以上に同級生の子達がどんな考えを持っているのか興味があったの」
 彩月は両手の指同士をいじりながら、ゆっくりと自分のことを話し出した。急にどうしてそんな話をするのだろうと思ったけれども、それだけ私のことを信用してくれていたのだと後になって分かった。一人でもいいから自分の心を打ち明けられるような理解者が欲しくて、彼女は吹っ切れて全部話してくれたのだ。でも、その時の私は自分のことを心から信頼してくれる人間なんているはずがないと密かに思っていたものだから、何か彼女は企んでいるのではないかと不安になっていた。
「前は峰上中だったんだよ、私」
「あれ。そんな学校、近くにあったっけ?」
「栃木県だから、ここから車で三時間もかかるとこ」
「嘘。そんな遠くから?」
「うん。私が両親にわがまま言ってね。今はいつも送り迎えしてくれる人がいるでしょ? あの付き添いの人と二人暮らししてるの」
「そうだったんだ。でも、何でこの学校に来ようと思ったの?」
 その時、私は彼女と初めて眼を合わせて会話した。綺麗な濃い黒を両目に宿していて、私の心を見据えているように感じた。彩月はいつものように明るさがあって、絶やさず静かに微笑んでいたけど、瞳は寂しそうに思えた。まるでその眼だけは別の生き物のように思っていた。じっと眺めていたら、いつか滴を落としてしまいそうな、そんな切ない眼だった。少しだけ間が空いた沈黙が続いて、彼女は甘い珈琲をゆっくりと味わって飲んだ。そして、彩月は落ち着いて息を吐き出して、カップをテーブルに置いていく。
「やり直したかったんだよ。全部。知らないところにくれば何かが変わるかもしれないって期待して、頑張りたかった。向こう側に全てあの時の私を置いてきて……えっと、何だろう。そう、普通に女子高生したかった」
「普通に女子高生、か」
「うん。でも、やっぱりもう一歩踏み出せていなかったんだ。だからあの時、理沙ちゃんには秘密がばれてよかったんだと思う」
「そっか。本当に私なんかで大丈夫だった?」
「うん。理沙ちゃんで良かったよ。とても優しい人が相手で良かった」
 そうでもないよと言いそうになるのを堪えて、呪文を唱えるようにそっかそっかと空返事をしていた。語らないだけでそんなに優しい人間ではないから、なんだか騙しているような気分に陥り、少し胸が苦しくなる。ただ、やはり私は彩月のことを尊敬に値する人物だったのだと改めて自覚した。真っ直ぐ自分の理想を目指して頑張るこの子は素敵だと、私はじんわりと心へ染み込むように感動した。
 ただ彼女は私に対しても一歩届いてなかったのかもしれない。どうして私は踏み出さずに距離を置いて頷くだけに徹したのか。この後、酷く後悔し自分を責めることになった。私は信じていなかったのだ。だから、必死になって手を差し伸べたいと思う自分を馬鹿にしたし、彼女を好きになろうとする自分を愚弄した。でも結局、彼女のことを思おうとした私(その子)のほうが、きっと正しかったのだ。
 休みがあけた三日後。彩月は突然学校に来なくなった。その前日、彩月が走って校舎を飛び出したのを今でも私は覚えている。

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