「どうしても、行くつもりなのかい?」
僕は彼女に問いかける。
僕と彼女は向かい合い、誰にも邪魔される事は無い、たった二人っきりである。
彼女はお世辞にも可愛いとは言い難く、いたってごく普通の女の子であった。
僕と彼女との接点は、全くもってなく、これが初めての会話だ。
恐らく僕が彼女を引き止めるのは、これで最後になるだろう。
もう、これ以上ズルズルと彼女を引きずる訳にもいかない。
僕はそこまで、お人よしな人間でもないのだから。
出来れば、横に首を振ってもらいたかった。
これで過ちを犯す事を諦めて欲しかったんだ。
でも、彼女は縦にしっかりと、揺るぎもせず、考え直す様子も無く、笑顔で振った。
「無理。もう、私はここに用は無いわよ。飽きた、というより呆れたかしら。人間を見るのも、人間でいる事も呆れたわよ」
「そう……ですか」
「でも、まさか君が私を止めようとするなんてね。恋でもしてたの? この私に? アッハッハ、んな訳無いわよね。私に魅力なんてこれっぽっちも無いんだから」
彼女は笑っていた。
笑ってきたんだよ。
今まで笑うことすらもしなかった彼女が、僕に笑いかけてきた。
これは幾ら感情が薄いと友達に言われる僕でも、驚くべき光景。
信じられない。彼女――あんなに綺麗に笑うこと出来たんだ。
人間として出来る当たり前の行動をされただけなのに、こうも驚かされるとは。
「ビックリした? 私が笑うなんて思わなかったでしょう?」
そんな風に彼女はおちょくってきた。
両手を広げ、スカートが風でひらひらとなびいている。
柄にも無く僕は心を読まれた事に対して、ちょっとムッとしてしまう。
生意気抜かす相手はどうも苦手だ。
「……まぁね」
「いつもは感情をぶち壊しているのよ。面倒だったのだから、笑うことも泣くことも」
「そっちの方が面倒じゃないか。笑いたい時に笑って、泣きたい時に泣けば――」
「私が笑ったり泣いたりしている所見ると、人間どもはムカつくんだってさ。そして私自身でもそう思う。ヘラヘラしてんじゃねぇーよって、甘えてんじゃねぇーよってカンジ?」
「寂しくないのか?」
「もう、そんな事考えるのもかったるいよ」
あぁ、そうなのか。
彼女は、終わっている。
世界に対しても、人間に対しても、絶望しきっていた。
人間でいるのに呆れたのはもちろん。
好物であるおいしい料理を食べる事も、ゆっくりと枕に頭を当てて布団で寝転がって寝る事も、誰かを好きになったり愛したりする事も全て、放棄しきっていたのだ。
ただここにいるだけ。ただ器がここにあるだけ。
死人がここに1人。
私の前でニコニコと微笑む。この世にあるべきではない存在がここにあった。
「ねぇ、君。人間好き?」
「もちろん嫌いですよ」
僕ははっきり答えてあげた。
「だよねぇ。人間の事を好きだって言う奴の気が知れない。それこそ異常だと私は思うんだよ。でもね、この世界は意外と人間が大好きな人ばかりなんだよね」
「そうなんですか」
「私が思うのは、人間を好きか嫌いかで別けれる所がもう人間だよね。私はもう、そんな事もどうでもいいのよ。勝手に幸せに生きてもいいし、勝手に死んでもいい。寧ろ目障りだから死んでもらいたいかな」
「…………」
「自虐する人とかは、自分が好きの裏返しだしね」
もう呆れて返す言葉が無い、というよりは、彼女の説に何と答えればいいのか分からないと言うべきだろうか。
難しい話だ。人間に関する話や、世界に関する話はいつだって。
僕が思っている説と彼女の説は全然噛み合わない。
もちろん僕の意見こそが世界の真実とは思えないでいる。
歪みあった論理、絡み合わぬ世界。
僕は、彼女の世界を知らないんだ。
だから……何も言えない。何も言い出せない。
――何も言う必要性がない。
「誰かを好きにもなれないし、誰かを愛することもできない。他人に好かれても愛されても迷惑だと感じる。全てが、もう、私の世界は終わっている」
「ここで、僕は止めるべきなのかな」
「えぇ、人間ならば私を止めるべきよ」
「んじゃ、止めない」
「ぇ~……。本当に素っ気無くて、止めるつもりなんてさらさらないのね」
「知るか。勝手に落ちろよ」
僕は踵を返すと、彼女を視界から背けた。
彼女の存在を、拒否したのだ。
クスクスと笑う彼女の声が聞こえる。
聞こえる、聞こえる、あぁ、このまま聞こえていて欲しい。
何故こうも、人は愚かな生き物なのだろうか。
「そうね。じゃあ落ちるわよ。――私は何の為に生まれてきたんだろうね、ホント」
そして、彼女は落ちた。
確認していなくても分かる。彼女の気配が消えた事ぐらい。
呆気無く、素っ気無く、簡単に彼女は高い所から落ちて、多分、頭を打って死んだ。
死んだのだろう。彼女は死にたかったのだから、死んだ。
滑稽だ、本当に滑稽な話。
いなくなった今だから告げよう。
何の為に生まれてきたのかとほざく愚か者に告げよう。
この世に神というものがあるのなら、それに変わって告げてやる。
そうやって死んでいく為に決まっているだろう。
生まれてきた意味が無ければ、そもそも生まれてすらいないのだから。
僕の世界に哀愁だけが漂って、残っていた。
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