人間なんて誰も信じられない。
そんな思いが、私の世界にいた人間を透明人間へと変えてしまったのだろう。
彼らはどんな表情をしているのか分からず、声すら発せられない生物。私の両親も例外ではなく、見慣れた服装を着た透明人間となって居間でくつろいでいた。
両親の声を聞くことができないため、私は一方的にありのまま起こっていることを彼らに伝える。そこで私は、この透明人間が両親だということを知った。父の服を着た透明人間が書き綴った文章には、母とはお互い姿が見えているし、会話もできているというのだ。
つまり、私がおかしくなってしまったのだ。
母と思わしき透明人間は私の身体を掴んで揺さぶってきた。だが、あまりに私の反応がおかしいことに気づいたのか、力が抜けたように座り込んでしまった。一方、父は透明の手でペンを握り、ずっと私を文章で慰めてくれるのであった。
これが、私が学校を辞めた次の日の出来事である。
原因は何となく分かっていたが、にわかに信じがたいものだった。
人に怖い顔で睨まれたくない。舌打ちされたくない。大声で叱られたくない。悪口を言われたくない。蔑まれたくない。人間は自分より立場の低いものを虐げるばかりだ。だから私はもう誰も信じるものかと。
にわかに信じがたいが、そんな歪んだ意志のせいで透明人間達を呼び寄せてしまったのだと思う。
つまり私は彼らがどんな表情をしているのか、どんな悪口を言っているのかを直接知ることが無くなったのだ。人間の存在が消えてしまった訳ではないけれど、確かに私は守られていた。
私自身が人間との関係を遠ざけたのだ。誰かに険しい顔で迫られても、暴言を吐かれようと、私に届くことはない。ただ大人しく彼らに近づかずに、逃げてしまえばいいのだ。そうすれば、私は一生傷つくことなく過ごしていける。
その後、両親は私を病院へ連れて行ったが、医者である透明人間が出した診断は異常無しとのことだ。色んな病院で診断してもらったが、結果は同じだった。
透明人間は私が望んで生まれたものなのだ。最初の内は未知の生物と出会って少し怖かったけれど、このお陰で随分と苦しまずに済むようになった。もう私は人間と関わる必要が無かったのだ。
ただ私は次第にある疑問を持つようになっていた。それは両親が文句の1つも言わずに私の面倒を見てくれている件についてだ。
結果は目に見えているはずなのに、幾つもの病院を頼って私を治そうとした。もういいとこれでいいんだよと私は両親に言い聞かせても、2人とも諦めることはなかった。
母は私の面倒を毎日見てくれたし、父はというと休日によく遊んでくれるようになった。庭で父とキャッチボールをしたり、母が興味無かったはずのテレビゲームに私と夢中になってやることもあったり、家族全員で出かけてキャンプをしたりすることもあった。
あまりに良いようにしてくれるものだから、逆に気味が悪くなるほどだった。今まで両親との仲が険悪だった訳ではないが、学校を辞めたいと話してからはより一層私を大事にするようになったのである。
私は不安で堪らなくなっていた。私は両親にどう思われているのだろうと考えるようになっていたのだ。文章では何とでも書ける。透明人間のいる世界のままでいいと思うとは別に、両親の私に対する本当の気持ちを知りたくもあったのだ。
そんなモヤモヤとした気分のまま、透明人間が現れてから1ヶ月過ぎていた。
朝起きて居間へ向かうと既に朝食が用意されていた。テレビを見ていた母は私に気付いたのか、いつも使っているホワイトボードにおはようとか調子は大丈夫?とかこと細かく書き込んでいく。
私とやり取りをするたびに、両親は文を書かなければならない。最近では申し訳ない気分になり、虚しく思う日々が続いていた。
確かに私は人間が嫌いになっていたはずだ。少なくとも昔の私はそれほどまでに人を憎んでいた。でも、今は本当に人間全てが嫌いなのだろうか。
そんな感情を抑えきれなくなり、とうとう母に本当の気持ちを聞くことにした。
「お母さん。何でそんなに私の面倒を見てくれるの。私のこと、邪魔とかいらないとか思ってないの…?」
すると母の動きが固まったと思いきや、急に私の元まで歩いてきて優しく抱きしめてきた。
その透明の身体から伝わる温かみは、紛れもなく人間のもの。それだけで私は思い知らされたのだ。両親にとって私は大切な人で必要としているのだって。こんな駄目な私でも、母は我が子を愛してくれていたのだ。誰も信じられなくなっていた私だが、まだ信頼できる人がすぐ傍にいたのだった。
人の温もりに触れた私は、いつの間にか泣きじゃくっていた。泣きながら何度も御免なさい、ありがとうと素直な気持ちが口から漏れていく。
「御免なさい。あなたには辛い思いをさせてしまったわね」
涙で歪んだ先には、私を慰める母の優しい笑顔があった。
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